おみずです。
最近サウナにハマってるんですよ。
僕は「おっさん」というものにある種の憧れがあって、おっさんをやりたいなと常々思っているんですけど、おっさんと言えばサウナみたいなところがあるじゃないですか。
僕もおっさん予備軍として、サウナくらい嗜めねばなるまいと思い立ち、暇を見ては通っているんですけど
これはハマるわ。
暑さに耐え、汗を流し、満を持して水風呂に飛び込むあの快楽、ハマるわ。
この水風呂が本当に気持ちいいんですよ。お水だけに。お水だけにね。
サウナでギュンギュンに膨張した血管が冷却されて一気に収縮する感じと言いますか、心臓の収縮ではなく、血管自体の収縮により血液が一気に押し出されていくようなあの感覚。
そこで再びサウナに入ることにより血管は弛緩し、水風呂で収縮し…っていうのを繰り返すんです。
するとどうなるか?
ワンピースでギア2(セカンド)ってあるじゃないですか。
ゴムの体をポンプにして血流を加速しドーピングするっていう。イメージとしてはああいう感じになるんですよ。
まじで肉体の性能がクソ上がるんです。体が軽くて仕方ない。
圧倒的な解放感を得られるんですね。
そしてそのあとに来るふわふわとした喪失感、解脱感。
サウナの楽しさってのはこの喪失感に全て集約されていると言っても過言ではない。
「力みなくして解放のカタルシスはありえねェ」
って範馬勇次郎が言ってましたが、サウナという『力み』を経て、水風呂という『解放』がカタルシスを生み出すわけです。
おっさんの嗜みとしてもうひとつ、キャバクラがあって、これも僕はさわる程度には通っているんですけど
キャバクラの楽しさとサウナの楽しさって本質は同じなんだと思うんですね。
『膨張』と『収縮』
『力み』と『解放』です。
薄暗い店内で、ネーチャンこの後アフターどうよ、ガハハ!
みたいに散々楽しむじゃないですか。ここが力み、膨張のステップです。
キャバクラにはお見送りって儀式があって、帰るお客を出口まで送って、ありがとねー、またきてねー!
とか嬢が適当なことを言うのを聞きながら帰るんですけど、ここから解放、収縮が始まる。
夜の場末をぶらつきながら、キャッチのお兄さんの「もう一軒どうですか!」って威勢のいい声に「いや…今日はもう…」って返すみたいな。
熱が急速に引いていくあの感じ。完全に水風呂なんですよ。
夜風に吹かれながら、煌々と輝くネオンを見つめてため息をつくみたいな。
この酷くさみしくてうらぶれた感じ。
これが味わいたくてキャバクラに行くんですよ。
キャバクラの良さの本質ってのは喪失の良さなんです。
これらって何かに似てると思うんですよね。
そう、ハースストーンなんですよ。
負けてあったまる、力み、膨張のステップを経て、勝利という解放、収縮のステップで気持ちよくなる。
完全に一致ですよね。
ハースストーンの楽しさもそういうことだったんです。
勝利と敗北、膨張と収縮を繰り返し、気持ちよくなる瞬間に向かっていくあの感覚、あの感覚がハースの楽しさの本質じゃないですか。
結局星増えなかったけどなんか楽しかった気がするなっていう、あの喪失感。
つまり
ハースストーン≒サウナ≒キャバクラ
こういうことなんですよ。
物事の楽しさの本質には「喪失」の楽しさが多分に含まれているのではないのか、と。
『喪うこと』を楽しむ、人間というのはそういう悲しくも美しい生き物なのかもしれません。
喪うことは老いることも同義です。若さを失うことを楽しむこと。
すなわち、おっさんになることを楽しむ。僕のやっていることはこういうことなのです。
人は失い続ける。それを楽しむために。
あの喪失感を味わいたくて、僕は今日もハースストーンをやるのかもしれません。
そんでサウナ行ってキャバクラに行くんです。
ノアちゃんがめちゃくちゃ可愛いんですよ。笑うと目が自販機の小銭入れるとこみたいで。
あとハグキが目立つんです。可愛いですね。
「サウナなんて暑いだけじゃんw」
「キャバクラ行くくらいなら彼女作ったほうがアドでしょw」
否定から入りがちなオタクの、そんな声が聞こえてきそうですが、どちらも是非試してほしいと思います。
あなたは既にハースストーンを知っているのだから。
ハースストーンを。
失うことの楽しさを知っているのだから。
でも、少なくともこんな文章を読んで失った時間はかなり無駄だと思うな、俺は。
をわり。