さようなら、全てのエヴァンゲリオン
お水と申します。
https://x.com/playhearthstone/status/1699470301904462102?s=46&t=BIQsfwy1E1MT-6uZoUab2Q
https://hearthstone.blizzard.com/ja-jp/news/23999067/
おわっちゃった。
ハースストーンというゲームが持つ「ハースストーンらしさ」の多くの部分が、この炉端の集いという要素にあると思っていたので
それが終了します、と言われてしまうと、結構くるものがある。
普段「画面の向こう」でしかない人間と「画面のこちら側」で一緒に遊んだり酒飲んだりできる、って、冷静に考えてめちゃくちゃすごいことだと思うんです。
結構ハードルが高いですよね。
顔も知らねえ相手に「ヨオ!やっと会えたな!」みたいに絡みに行くのって。
みんなすごいことしてんな。
炉端が無ければ会うこともなかっただろう人間がたくさんいます。
大人になるとね、理由がなければ人と会わなくなるんですよ。
明日集まろうや、って集まれることってそうなくなってくる。
だいたい結婚式か葬式かですからね。
この間結婚式で久しぶりに地元の友達に会ったわ。
結婚してないの俺ともう1人だけだった。
生活環境も住んでるところも、何もかもが違う人間が集まるって大変なことなんですよ。
淡水魚と海水魚が同じ水で泳げるか?みたいな話ですからね。
それくらい難しい。理由がなきゃ絶対交わらない。取り巻くあらゆるものが違う人間同士なんか。
この、海水魚と淡水魚を繋げる、汽水の役割をしてくれていたのが炉端だったと思うんですよ。
場所であり、理由なんです。炉端って。
集まろうや、という理由があることって、人生においてわりと大事なことなのかもしれないなと。
いま人生の話をしています。壮大ですね。
大暮維人か俺かというレベルで話を壮大にしています。
ローラースケートで世界がヤバイ。
俺は別に、友達ってほどお前らのこと知らないし、突き放した言い方をしてしまえば「同じゲームやってるだけの他人」なんだけど
炉端がなくなって、もう二度と会わない「同じゲームをやってるだけの他人」もいるんだろうなぁ、と思うと、無性におセンチな気持ちになるわけですよ。
話したこともないけど、席を隣にして一緒に酒を飲めたかもしれない他人が、また「画面の向こう」になっちゃった寂しさ、わかるだろ?
炉端で会う人はみんないい奴だったし、よくしてもらったし、これからもそういう機会があると思っていたんです。
人生というのはえてしてそういうものなのかもしれないですが、またいつでも会えると思っても、また会えるとは限らないんですよね。
老い先短くなってきたからか、最近そういう事をすごく考えます。
そういう事を考えると、なんだかたまらなく寂しくなってしまいませんか?
じゃあな、もう会わないだろうオタク共。
お前らと遊ぶの、わるくなかったよ。
色々な思いがありますが、今は、僕たちに集まる理由をくれた事に感謝するばかりです。
心からの、サンキューブリザード。
をわり。