水中毒

インターネットを漂うデブリ

ブログはオチから書く。

おみずです。

 

ブログのネタないからくれよ!みたいな話をTwitterでしたところ

ギャンブル依存性についてどう思うか?

という問いを頂いて、1000000%の確率で面白い文章にできねえなって思ったんですけど、ネタくれって言った手前、書かないと舐められると思ってこの記事を書いています。

この業界舐められたら終わりですからね。上等コいておいてケツまくる訳にはいかないんですよ。

ビッとしてんなコイツって思わせなければいけない。

余裕綽々で“ゴキゲン”じゃん…!?くらいの顔をしなければいけない。

全然ゴキゲンじゃねえわ。なんだその話題。重いわ。なんか。

 

そもそもなんですけど、僕ギャンブルやらないんですよね。

人生で3回くらいしかパチ屋に足を踏み入れたことがない。

飲むし買うんですけど打たない。ドラクエでしかギャンブルしねえわ。

だからまあ、ギャンブルについて特別どうこう思わねぇなぁってのが正直なところなんですけど。

 

依存性ってやめられないことがあるってことですよね?

人間って大なり小なり、そういうものを抱えていると思うんです。

それこそギャンブルだったり、僕で言えば煙草がやめられないし

仕事辞めてえけど辞められないとか、恋人と別れたほうがいいってわかってるのに別れられないとか。

 

どういう話かというと、

継続している何かをやめる”ことってすげーエネルギーを使うよね、って話なんですけど。

継続している何かをやめたりとか、やめることを考えるのってなかなかしんどいものがある。

飛行機は離陸より着陸のほうが難しいとか言うじゃないですか。

料理するのはいいんですけど片付けがクッソ激烈にめんどくさいじゃないですか。

別にもうやる気ないソシャゲなのにログボだけもらっちゃうじゃないですか。

 

継続してる何かを終わらせる、もっと言えば『上手く終わらせる』ことって本当に難しいと思うんですよ。

長期連載の漫画とか見てるとそう思いませんか?

僕最近ブリーチ読み返したんですけど、流石に最終章グダり狂ってるなって思いましたからね。だいたい月島さんのお陰じゃねえか。

 

 

継続の形が色々あるように、『何かをやめる』って事を考えた時、終わりの形も色々あるわけで。

例えば何か明確な目標があって、ものごとを始めて、継続して努力して、目標にたどり着くことで訪れる『終わり』。

ハースストーンで例えるなら「レジェンド到達が目標!」って人が頑張ってレジェンド達成したら『終わり』が訪れるじゃないですか。

 

そうじゃなく、失敗とか敗北とか逃走とか、そういうネガティブな形で訪れる、望まれない『終わり』もあります。

「レジェンド目標にしてたのに結局ランク5で終わった」とか。先月の僕ですね。

 

終わりの形としては真逆なんですけど、でもどちらも等しく『終わり』なんですよね。

望もうと望むまいと『終わり』は来てしまうんですよ。

って考えると、やめたいとかやめたくないとかあんまり関係ないんじゃないのか?

問題は、どういう形で終わりを迎えるか?ってところなんじゃないのか?

って思うんですよね。

 

“依存性”とされるものごとって、大体終わりに破滅が待ってるような気がするじゃないですか。

アルコール依存性とかニコチン依存性だったら、体壊すとか、究極的には『死』が終わりとして設定されがちじゃないですか。

ギャンブル依存性だったら借金とか破産とか、そういう『終わり』にたどり着きがちじゃないですか。

 

依存性の話に限らずとも、『終わり』をどのように設定するのか?って結構大事なことのように思うんです。

やめたいとかやめたくないに関わらず、確実にやってくる『終わり』をどのように迎えるのか?

いい『終わり』ってどういうものなのか?

いい終わりが見えてくれば、いい継続の仕方も見えてくる気がしませんか?

いやまあ、それを考えるのが難しいんですけど。

 

そもそもこのブログの『終わり』をどこに設定するのかが難しいですからね。

どうやってオチもってこようかなってずっと考えてるんですけど思い浮かばないですからね。

ほんと『終わり』って大事ですよね。

何かを継続している方、やめられない何かがある方、何か目標に向かっている方、皆さんにいい『終わり』が訪れるといいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

いやオチは無いんですけど。

僕のブログ見るのこれっきり『終わり』にするのだけはやめてください。

 

 

 

 

をわり。