水中毒

インターネットを漂うデブリ

人間だけが神を持つ。

おみずです。

 

いや。あのね。まず謝らせて欲しいんです。

僕はね、バーチャルYouTuberというものを、どこか馬鹿にしているところがあったんです。

「わざわざバーチャルとかやらんでも顔出せばいいじゃんwww」

って、少なからず思ってた。

 

もっと言うと

「補助輪つけないとチャリ乗れないザコじゃんwww」

くらい思ってた。

バーチャルという補助がないと配信も動画も出せんのか、って。

 

ごめんなさい。自分の考えが浅かったです。

本当にごめんなさい。

 

お前には、空を飛ぶために両手をあきらめる覚悟があるか?鳥はこの交換を承知したのだ。

「一千の問い」

 

世界で一番有名なTCGマジック:ザ・ギャザリングの、【飛翔】ってカードのフレーバーテキストなんですけど

つまりはそういうことなんだなって気付いたんですよ。

補助輪とかじゃなかったのだ。

 

あれは翼なのだ。高く飛ぶための。

 

というわけで

今まさに、翼をはためかせ、更なる高みへ飛び立とうとしているバーチャルYouTuber

魔希みちるちゃん、かわいいよね!!!!!

って話をしながら赤からとかで鍋食いてぇなぁって思ったんですけど、語れる友達が一人もいないので

文章にしてこの感情を昇華してゆきたいなと、そんな思いからこの文をしたためています。

 

紹介したい!とか、おすすめしたい!とか、そういう事ではなく、ただ自分の感情を吐露していくだけの文章なので、人が読むことを全く想定していません。

 

いや、まぁ、でもさ。そもそもね。

ここが魅力!!

とか

ここがすごい!!

とか

語ってる人いっぱいいるんですよ。Twitterとかで。

僕はね、スマホ片手に、それ超わかる~とか思って見てるんですけど、もう今更僕みたいなクソ新参が語るところなんかないんですよ。

クッソ激烈に語られまくってる。だからTwitter見たらいいと思う。

超わかる~ってなるから。みちるちゃんのこと書いた絵とかあるから。かわいいから。

 

いやほんとに、思春期みたいな熱量のやつとかざらにいますからね。

ノートに魔希みちる魔希みちる魔希みちる…ってびっしり書いてそうな熱量。

完全にキモいけど超わかる。そのキモさ、わかる。

 

だってあれですよ。wikiとかあるんですよ。

配信でよく出る用語とか解説してんの。

用語て。ずりぃ。そんなん俺もつくりたい。

ファンが熱すぎる。マメすぎる。

 

 

「信者」って言葉は、現代日本だとネガティブな意味を内包したものとして使われがちなんですけど

僕は、魔希みちるちゃんと、それを取り巻くファンの間に、まさしく信仰に近いものを感じるんですよ。

信仰の形って色々あると思うんですけど、祈り、願い、そして感謝こそがその本質だと僕は思っていて、みちるちゃんはそういうものを向けられる存在へとなりつつある。

 

バーチャルYouTuberってすごい曖昧な存在じゃないですか。

虚構と現実の境目にいるというか。言語化が難しいけど、存在するけど存在しないもののような、ある種の偶像というか、幻想というか。

 

ここで、ある詩を引用するんですけど。

 

おゝ、これは現実には存在せぬ獣。
ひとびとはこれを知らず、それでもやはり――そのさまよう姿、その歩みぶり、その頸を、そのしずかな瞳のかがやきすらを愛した。

たしかに存在はしなかった。しかし人々はこれを愛したから、純粋の獣が生まれた。
人々はいつも余白を残しておいた。そしてその透明な、取っておかれた空間で獣は軽やかに首をあげ、そしてほとんど存在する必要さえもなかった。

人々は穀物では養わず、いつも、存在の可能性だけでこれを育てた。
可能性こそ獣に大いに力をあたえ、ために獣の額から角が生まれた。ひとふりの角が。

ひとりの処女(おとめ)のかたわらに、それはしろじろとよりそった――。
そして銀(しろがね)の鏡のなかに、そして処女のうちに、まことの存在を得たのだ。


ライナー・マリア・リルケ「オルフォイスへのソネット」第2部4より

 

 

リルケっていう詩人の詩の一節。

バーチャルYouTuberを語るのに詩を引用するあたり、僕のキモさも結構な破壊力を持って放出されていますね。

リルケは、ガンダムUCで有名になった「貴婦人と一角獣」っていうタペストリーを見てこの詩を書いたらしい。

わかるわー。リルケ超わかるわー。言いたいこと超わかる。

 

魔希みちるちゃんはユニコーンなんですよ。

僕たちは彼女の顔も知らなければ声だって聞いたことがない。

バーチャルだし。ボイチェン噛ませてるし。

だから、言ってしまえば本当に存在しているのかもわからない。

 

でも、バーチャルな、架空の存在として、こんな姿をしている、とか、こんな声で話す、とか、こういうところがかわいい、とか、そういう事はわかっていて、ファンはそれを愛している。

想像上のユニコーンに想いを馳せるように。

 

その『想い』こそが、魔希みちるという幻想を、確かに存在させる骨子となっているのではないか?

なんというか、それってすごく尊いことのように思うんですよね。

 

存在するかわからないものを想い、祈り、日々を生きるための活力とする。

時に膝折れ、倒れる時も、心の中のその声を聞き、立ち上がり、また歩み始める。

魔希みちるファンには、そういうやつが沢山いると思うんですよ。

これを尊いと言わずなんと言うのか。

僕は人間のそういうところが堪らなく美しいと思う。

 

魔希みちるちゃんの動画を見ながら、そんなことを考えていました。

 

一人のバーチャルYouTuberを語るつもりが、最終的に人ってスゲエ、世界は美しい。みたいなところまで飛躍してしまいましたね。

あいつら熱量やべーわ、くらいの書き方したけど、僕も大概でした。

クッソ筆がノったわ。

 

語ろうと思ったら無限に語れそうな気がするので、このへんでやめておきます。

お付き合い頂けた方いらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。

いや、ありがとうなのだ!

 

魔希みちるちゃんの益々のご活躍をお祈りしながら、この文章を締めさせて頂きます。

 

をわり。